梨木香歩 なしきかほ

      小説

f植物園の巣穴
ピスタチオ
沼地のある森を抜けて
村田エフェンディ滞士録
家守綺譚
                
りかさん
からくりからくさ
    随筆 等




春になったら苺を積みに
ぐるりのこと(2004)
渡りの足跡
水辺にて on the water / off the water (2006)
『秘密の花園』ノート (2010)
不思議な羅針盤 (2010)
僕は、そして僕たちはどう生きるか (2011)

         児童書
裏庭
エンジェル・エンジェル・エンジェル
西の魔女が死んだ

        絵本形態
マジョモリ
蟹塚縁起(2003)
ペンキや(2002)
丹生都比売(1995)
ワニ -ジャングルの憂鬱 草原の無関心(2004)
この庭に―黒いミンクの話(2006)

児童書がいくつか入っているけれど、行間と間合いのよさは小中学生にはわかるまい!?
ネタばれ全開で読書感想文を書いてみたい。
夏休みの読書感想文、この年になるともう誰も宿題にしてくれないけれど、
書いていい?


ピスタチオ (2010)
ライターの棚(ペンネーム)。
独身、彼氏あり。犬もち。
経歴: 出版社づとめから退職後ナイロビにしばらく滞在。日本に戻り、ライターとして暮らしていたが、なにかに呼ばれるかのように、ふたたびアフリカに旅立つことになる。

伝統医、伝説、民俗学、そしてナイロビタイム。
日本の常識とはかけ離れた流れを、棚はおよぎはじめた。

最後の文章。これは梨木さんカラー炸裂。
異国で暮らして、(暮らさなくとも)こういう文章を生み出せるひとがいるのだなと、
つくづく思い知らされた本でした。



沼地のある森を抜けて(2005)

三人姉妹だった母。叔母がなくなって、もうひとりの叔母から家に代々伝わっているというぬか床をもらった。
漬物を漬けるあれだ。
先祖代々と言うことは世話をせざるをえない。
出勤前、帰宅してから、朝晩毎日かきませていると、ある日突然。

※※※

マンガだよ。
こんなにじっくり一言一言読んで、読みかえした二章ははじめてです。
笑っちゃったし。
展開はきちんとつじつまがあっていき、妙に説得力があるんだかないんだかになっていくのだけれど。
いやぁ。この発想。
真面目な小説の客寄せのためにエッセイ(随筆)を書いていた遠藤周作氏のような、
そっちの路線にも力をいれていただけたら。
でもまぁ、この方には、この方の書きたいように書いていただければうれしいです。

村田エフェンディ滞士録 (2004)

異国物語で敬遠していたけれど、家守と大きくリンクしていたこと、それよりもいろいろな異形のものが出てくる辺りが壺にはまりました。
神様にもいろいろいらっしゃいます。

オウム、下宿屋のかたがた、皆しんみりと書かれています。

家守綺譚 (2004年 1月)

ーそういう土地柄なのですね。


小文書きの物書きが、友人の家の守りをすることになる。
庭は好きにと言うことなので手入れを入れずにのび放題。サルスベリの木が花をつける。
生活はかつかつで、ひとり口がやっとのところに、犬がやってきた。
それを見て、掛け軸から出てきた友人が言った。「何とかなるさ」

古風で、四季の花にあふれ、和尚が現れ、狸にだまされて、河童の抜け殻を手に入れる。
床の穴からカラスウリが伸びて天井へ、屋根裏へ茎をのばす。花を結ぶ。
民話で語られる状況が、まだ日常に現れていた時代の話。
いやもしかしたら、今でもこういうことがあるのかもしれない。
静かに、澄んだ空気をはりつめさせて、賞とか世俗とかを昇華したような言葉がふんだんに盛りこまれていた。
今でもこんなに、「雰囲気のある」話、書いていいんだよと、語りかけるような本。
「功徳をお積みなさいまし」
どこかにそんな言葉があった。

f植物園の巣穴(2009)

植物園の園丁が、歯痛に悩み、下宿の未亡人から紹介されたはずの歯医者に行くと、これがまた不思議な歯医者で。

危ない世界に引き釣りこまれてしまうんじゃないかと不安になりつつ読む。
この作者、大丈夫?とまで困惑してしまった本。
でも読み終えると。

異次元経験をさせていただきました。

マジョモリ(2003)

絵本、ちょっと絵の多い、かといって字を読み始めて絵本を卒業しようかと言うような小学校一年生にはちょっとむつかしいような話。
言葉はちっとも「幼児向け」ではなく、漢字もところどころ読み仮名があるにしても小学校高学年向けではないだろうか。
対象年齢は、四年生くらいから昔少女だった方々向け。
大島弓子や山岸涼子を思い出す。
なんて書いていると、ふたばちゃんに言われてしまいそう。
「そんな、ばっかみたいに普通のことしか言えない、あんたのおかあさんって、なっさけなーい」

でも、この本、すっごーい。


春になったら苺を積みに(2002)

随筆。
作者が語学学校に通った英国、その後また戻った下宿先、そしてそのあと、またことあるごとに帰っていったウェスト夫人の家。
そこで出会った人、その親族、そこにつながる人。
相手を感化しようとはしない、無理に理解しようともせず、ただ受け入れるだけのお人よしともいえそうなウェスト夫人。
アメリカで生まれ、英国で結婚生活を送り、夫のつまづきで離婚して、そのまま英国にとどまった一夫人。
作者との繊細なつきあい、会話。そして緑。
いい関係とはこういうことを言うのだと、しみじみ思わせてくれる交流記でした。
大事な出来事はいつも日常の中にある。


りかさん (1999年12月)

※ この本を読む前に「からくりからくさ」を読むべしという意見のサイトが多々あり。
   わたしはこっちから読んだけれど、だから「からくりからくさ」を自然に手にとったのだなと言う感あり。
   要はどっちでもいいんですよ。縁のあるがままで。


リカチャン人形が欲しかったのに、おばあちゃんが送ってくれたのは市松人形の「りかさん」だった

よその書評で読んで、そういえばと思うとここでも作者のことは見ていて、和・おばーちゃんの庭(祖母の庭・日本家屋の庭)というキーワードにかられて購入してしまいました。アマゾン、送料1800円なり。
でもその価値あり。
はじめは10才になってないかくらいの女の子の、身の丈にあった観点で書かれているのだけれど、お父さんのお母さん、歩いて1時間くらいのところにすんでいるおばあちゃんと、りかさんの世界に入っていくとこれはもう別世界。
幻想?
怪談?(←とはまた違うのだけれど
内田善実の草迷宮・草空間を思い出すようなお耽美。
まとう衣装の美しさ、道具、細工の巧妙さ、
人形の想い、時代も地方も違う場所でのできごと、そのときの想い。
手で作られた人形は、さまざまな想いを抱いている。
言葉で読んでここまで映像的に想像させてくれたのははじめてだ。

わたしは幼い頃から人形遊びをしなかったし、市松人形、日本人形はきれいだとは思うけれど一緒に寝たくはないと思う性質なのだけれど、
それでも「りかさん」の奥深さには、焦がれてやまないものがある。


からくりからくさ (1999年5月)

祖母の家を下宿屋に改装して、女の子ばかりに貸すことになった。
女の子ならきれいに使ってくれるだろうから。
どんなものかと思いながら、大家の娘で草木染をやっている容子もそこに住むことになった。
やってくるのは古い民家が大好きのアメリカ人、草木染をやっている娘、織物の音がうるさいと近所から苦情をうけていた美大生、織機をおける場所を探しているこれまた美大生。
大家夫婦もやってきてて契約をかねての歓迎の席、新下宿に用意された席は一席多かった。
それは古い市松人形のための席だった。


この人形の衣装が見事。
古い縮みを着れば洋服も着る。ちりめん、紬、手織りの布。
話は女の子たちの創作業、学術仕事、そして恋愛、昔話にかかわっていき、そんな中になんのヤマがあるのかとおもいきや壮絶な展開、惜しげのないラスト。
奇をてらったり、ウケを狙ったり、マスコミを意識したり、そんな思惑の一切感じられない、自然あふれる華麗で和もオリエンタルも満載の、心落ち着く作品でした。
読後どっしり、大舞台を見た気分。


この庭に―黒いミンクの話(2006)

からくり後日談。絵本形態。
絵本にしては洋酒と缶詰しか腹に入れていない人の視点で書かれている。
住む家は雪が吹きだまりになる地方。
そして、ひとり暮らしの現代の「家守」の家に、幼女の姿ががちらつきはじめる。

絵本?

裏庭(1996)

共働きの親を持つ女の子。英語の塾をさぼって足を向けた先は無人の洋館だった。
もっと小さかった頃、少女はこの庭によく入りこんでいた。弟と一緒に、誰かがあけた石垣の穴を通って。
この庭は、お化け屋敷とも言われていた。
ときどきあるはずのないものが見えるから。
扉はなぜか鍵もかかっていなく、少女が導かれるように入っていくと、大きな鏡が立っていた。
そして鏡は少女に問いかけた。
「Who are you」ーあなたはだれ?

--------------------------------

時を越え場所を越え、おじいちゃんがおばあちゃんが、英国人がおとうさんが、おかあさんが、みんなみんなつながっていく。
この大きな鏡を中心に。
ファンタジー。
あの時こうしていたら。とっつきにくいお父さんの胸の奥の後悔も、この洋館で解き放たれる。

エンジェル・エンジェル・エンジェル(1996)

ばあちゃんがうちに住むことになった。体がもう弱っていて、寝たきりに近いと言うのはわかっていたけれど、痴呆がはじまっているなんて知らなかった。
孫を忘れてしまっていたばあちゃん、私の飼いはじめた熱帯魚の水槽のモーター音で、いきなり昔にトリップしたようにはっきりと物を話しはじめた。

昔語りと私の生活、それと熱帯魚のテリトリー争いという生々しい現実の中、ばあちゃんの過去が追体験されていく。
時代が変わっても女の子って、いつもこう。
感情にまかせておもいっきり意地悪して、心の奥でいつもぐじぐじ。どんなに時がたっても、つぐなうまでは眠れない。
そのくらい繊細な人はいとおしい。

西の魔女が死んだ(1996)  

おばあちゃんは、少女との約束を守ってくれた。

学校は苦痛を与える場所でしかない、そう言い切った娘にお母さんは観念した。「とにかくしばらく学校を休みましょう」
そうして少女は入ったばかりの中学を休んで祖母のところですごすことになった。
緑豊かな山の中、流暢な日本語をあやつる英国人のおばあちゃんは、みんなが出てしまった家にひとりでひっそり暮らしていた。
野いちごをつんだり畑から野菜を採ったり、電気を使わない掃除や洗濯をしたりジャムを作ったり。
それだけではなく、不思議な力を持つおばあちゃんから、魔女になる手ほどきを受けることになった。
中学一年生にはまだわかったようでわからない話もしてくれたが、おばあちゃんと過ごした日々は少女にとって確実な道しるべを与えることになった。

「おばあちゃんはいつもわたしに自分で決めろって言うけれど、わたし、何だかいつも、おばあちゃんの思う方向にうまく誘導されている気がする」


---------------------------------------

この人の話はいつも、子どもに子ども扱いしない話し方で語りかける。
答えるほうはきちんと、小学校高学年から中学くらいの、自分が中心に回っているような、自分の気持ちを大切にする我が強い女の子たちばかりなのに。
童話は卒業して、けれど行間を読みはじめたころの女の子に薦めたい本。
そして、昔そんな年の女の子だった人たちにも。




本の棚